PTSDの話

あまり読んでいて気分のいいものではないです。


知らない間に自分が性的な存在として見られていたと気づいたのは相当後でしたがきっかけは7歳の時に二回、誘拐未遂にあったことです。 

自分と相手の男性がいた場所の最寄の駅から一駅先へはどうやっていけばいいのか聞かれましたが私はその時から左右盲で説明が出来ず、電車で行けばいいんじゃないですか?と答えたら一緒に着いて行ってくれないかと言われたのでこれから用事がある、と言うと相手は立ち去りました。が、それから少し経って親を待ってスーパーの外で待っていたら女性を連れたまったく同じ男性が同じことを聞いてきたのです。それに対しても同じ内容を答えようとしたところ運良く親が出てきたので親に説明するよう聞いたら急ぎ足で立ち去ったのを今でも覚えています。その後に「あの人、前にも同じこと聞いてきたよ」と言った時に親の顔が強張り、程なくして警察が話を聞きに家に来て覚えてることを拙いながらに話しました。小学二年生ながらも電車通学だったので防犯についてはよく覚えていたので道を聞いて着いて来てほしいと言うのは誘拐に繋がると知っていたからです。

それから少しの月日が経ち、親からその男性が見つかり厳重注意されたと聞きましたが、小さいながらに自分がターゲットにされていたことは傷ついたのだと思います。

私は10歳の時に知らない男から性的暴行を受けました。その頃中学受験の為に塾に通っていて鳴かず飛ばずの成績に親も自分もいい雰囲気ではありませんでした。姉が全て成功していた人間だったからです。親も親の都合があって余裕がなかったのは今となって寛容できますがあの頃の自分には日常的に起こる母親のヒステリックな叫び声や父親からの暴力に耐えて息をするのは辛かったです。

あの時の事は膜を通して見ていたようで細かく覚えていませんがとにかく家に帰りたくなくて公園に向かったら突然引き込まれて小便臭いトイレに入れられて服は脱がされ股の間が変に濡れていた覚えがあります。

もちろん知らない男に舐められて興奮する性癖は未来永劫発症しないと思うので抵抗しようとしたのでしょうが父親からの暴力を思い出すと身が竦みました。一通り終わった後たぶん拭かれて服を着せられてトイレから出されたのでしょう、ふらふらと家に帰りました。

その頃は時々クラスで基準点に満たないと居残りで追加課題を課される時があったので親も遅くなった私の帰りを気にしていませんでした。

性教育の授業を受けた後の話だったのでこれはいわゆるレイプだと知っていましたが親と話したくないのもあって何も言わず、言えずにいます。今でも彼らは私に何が起きたか知りません。今となっては知る必要もないと思います。

それから痴漢やセクハラを受けつつ、特に問題なく生きてきました。

そして初めて彼氏ができた時、遠い昔に植え付けられたトラウマの花が咲くようになったのです。

彼との付き合うようになったきっかけが酔ってた相手を押しのけられなくてそのまま寝てしまい、流れで付き合いことになった事です。私はずっと"No"と言い続けましたが彼は「本気で嫌がってなかったじゃないか」といいました。誰が自分の抵抗によって引き起こされるさらなる暴力を予想して抵抗できるのでしょうか。まあいいかと自分の不信感を押し込め1ヶ月付き合いましたが不安と違和感が爆発した時、PTSDを発症しました。

全裸で挿入されてる時に全身が硬直し、呼吸困難になる惨めさと自己嫌悪は自分でも説明しきれません。

結局それからセックスレスになり別れて気ままなフリー生活を送っていますが未だにPTSDを発症するのが怖くて好きな人ができても(またああなったら...)と思ってどの1ステップも踏めなくなりました。 

と、いうオチのないPTSDの話でした。 ハーヴェイウェインスタインの話が合ったので自分の経験を書き出してみました。